ただ晴れた海を見る

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なんでもないことを考えたい。
なんでもないことを、より情動的に、より破壊的に考えたい。

なんでもあることばかり考えている。
なんでもあることを、より情動的に、より破滅的に考えている。

そしてより生産的で効率的な、余白のない人間になっていく。
余白のない、規定された、想像に貧しい、締め付けられた人間になっていく。

人生とは余白だ。無駄と言い換えてもいい。
沢山でなくてもいい、無駄を愛したい。

社会は余白を蝕んでいく。

そもそも1日8時間、週に5日働かなければならない上に、残業時間は月あたり45時間まで許容されている。上司からの叱責がある、客からの理不尽なクレームがある、心ない形式的なやりとりをする、人付き合いなんていらないのに交流の場が設けられる、同僚がまだ働いているから家に帰りづらい、家に帰ったら今度は家事が待っている、もちろん家族や恋人のことも気にかけなくてはならない、でも明日も仕事がある、だから風呂に入り、スキンケアをし、早く眠らなくてはならない。明日は月に2回しかない資源ゴミの日だ、忘れるわけにはいかない。

それでも、一人暮らしの俺には僅かな余白がある。
シャワーを浴びている時、車を運転している時、夜にランニングをしている時。
それも全て埋める。
Spotifyで、YouTubeで、Netflixで、その僅かな余白も埋めていく。
寂しさや孤独、現実や理想から逃げるように埋めていく。

隙あらばスマホを開く。
あてもなく彷徨う孤独の亡霊に取り憑かれたように、というより、俺はその亡霊自身なのだと気づく。



本当は海が見たいのだ。
ただ晴れた日に海が見たい。
海と空を隔てる水平線に目を、飽きることなく打ち寄せるさざなみに耳を、その先に広がる異国の地に心を奪われたい。

しかし、俺の海は違う。
水平線には明日を連れてくる朝日が、さざなみには現実の雑音が、異国の地には叶いもしない夢がちらついて、見える景色は海とは似て非なるもの。

いつでも現実を見ている。そんな人間になった。
幸せになるために努力するのではなく、ただ幸せでいるための努力がしたい。
明日が来る前に、せめてあと2時間の空白が欲しい。
残業を終えた夜の21時、いつもそんなことを思う。

仕事も含めて人生だったらいいのにな。
仕事の時間、俺は俺であって俺じゃない。
仕事をしている時の俺は、間違いなく俺の人生を生きているが、そうじゃない。
生かされている。偽らされている。嵌め込まれている。

だから俺には2つある。
仕事を通しても自分の人生をいきたい。
そうすればきっと、余白の時間を恐怖や孤独、怒りに奪われることも減るだろう。
そして好きな歌を聴き、ただ晴れた日に海が見たい。

それだけだ。
人生における幸せなんて、そんなものでいい。
好きな歌や開けた海が、少しでも綺麗に映ればいい。

余白ばかりの時代には当たり前だった幸せが、今ではもう、つま先立ちをして手を伸ばさなければ届かないところにある。

きっと社会は変えられない。
だから俺は手を伸ばす。